「障がい者」と聞いて、あなたはどんな人を思い浮かべますか? 車いすを利用している方、白杖を持っている方、手話で会話をする方、あるいは発達障害や精神疾患のある方かもしれません。
しかし、実は「障がい者」の定義やその境界線はとてもあいまいです。外見からはわかりにくい「見えない障害」を抱えている方も多く、その多様性は私たちが想像するよりもはるかに広範です。
この記事では、「どこからが障がい者なの?」という疑問について、専門的な視点も交えながら、具体的な実例を挙げつつわかりやすく解説していきます。福祉の現場で働くプロの方々はもちろん、誰もが「自分ごと」として捉え、多様な人々が共に生きやすい社会を築くためのヒントにしていただければ幸いです。
「障がい者」の定義はひとつじゃない? 法的な側面と実態
「障がい者」の定義は、実は多岐にわたります。法律や制度上の枠組みだけでなく、個人の生活における困難さや社会との相互作用によっても、その捉え方は変わってきます。
まず、最も一般的に知られているのが法律上の定義です。たとえば、障害者総合支援法では「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害含む)その他の心身の機能の障害がある人で、継続的に日常生活や社会生活に相当な制限がある人」とされています。この法律に基づき、様々な福祉サービスや支援が提供されています。
そして、障害者手帳(身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳)の所持が、多くの場面で公的な支援を受けるための「入口」となります。手帳があれば、医療費助成、公共交通機関の割引、税の優遇、就労支援など、多様な福祉サービスや制度を利用できるようになります。
実例
- Aさん(40代、身体障害者手帳1級):若い頃の事故で下肢に重度の麻痺が残り、車いすを利用しています。身体障害者手帳があることで、介護保険サービスと併用してヘルパーの支援を受けたり、自宅のバリアフリー改修に補助金が出たりと、日常生活を送る上で不可欠なサポートを受けています。また、公共交通機関の割引を利用して、通院や外出をスムーズに行っています。
しかし、これはあくまで「制度上の基準」であり、行政が支援を必要とする人を把握し、適切なサービスにつなぐためのひとつのツールにすぎません。手帳があるからといって障害が重い、手帳がないから障害がない、という単純な話ではありません。手帳の有無が、その人の抱える困難のすべてを測るものではないことを理解しておく必要があります。
より包括的な視点として、世界保健機関(WHO)が提唱するICF(国際生活機能分類)の考え方があります。ICFは、単に「病気や障害があるかないか」という医学的な側面だけでなく、「その人が生活の中でどのような活動を行い、社会に参加しているか」という生活機能に焦点を当てます。
ICFでは、個人の健康状態、心身機能・身体構造、活動、参加といった要素に加え、環境因子(住環境、社会制度、人々の態度など)や個人因子(年齢、性別、生活習慣など)といった様々な要素が複雑に絡み合い、その人の生活機能の状況が決まると考えます。
実例
- Bさん(20代、うつ病で休職中): 診断書は出ていますが、精神障害者保健福祉手帳はまだ持っていません。ICFの視点で見ると、「精神機能の障害」があることに加え、会社という「環境因子」がストレスになっていたこと、「参加」(仕事への従事)が困難になったことなどが複合的に絡み合い、生活機能が制限されていると捉えられます。手帳の有無に関わらず、Bさんの困りごとに対し、休職中のカウンセリング支援や復職に向けた環境調整といったアプローチが検討されます。
このICFの視点を持つことで、私たちは障害を「個人の問題」としてだけでなく、社会との相互作用の中で生じるものと捉え、個人の能力だけでなく「社会の環境」を整えることの重要性を認識できます。
診断や手帳がなくても「困っている」なら、それは「障害」と考えるべき?
「診断名がないと障害者ではない」「手帳がないから健常者」という誤解は根強くありますが、実際には「困っているかどうか」が最も重要なポイントになります。
私たちの周りには、診断基準に完全には当てはまらないものの、日常生活や社会生活で強い困難を抱えている人々がいます。
実例
- Cさん(30代、発達障害のグレーゾーン): 幼い頃から人とのコミュニケーションに苦手意識があり、仕事での報連相(報告・連絡・相談)がうまくいかず、何度も転職を繰り返してきました。集中力も長続きせず、会議中に上の空になってしまうことも。病院で検査を受けたものの、発達障害の診断基準には「ぎりぎり当てはまらない」と言われました。しかし、Cさん自身は毎日強い生きづらさを感じており、「自分はなぜこんなにできないんだろう」と自己肯定感が下がっています。診断名がついていないからといって、困りごとがないわけでは決してありません。
また、外見からはわかりにくい「見えない障害」を抱える方も少なくありません。
実例
- Dさん(50代、潰瘍性大腸炎): 特定難病に指定されている潰瘍性大腸炎を患っています。普段は見た目には変化がありませんが、体調が悪化すると激しい腹痛や頻繁な下痢に襲われ、外出が困難になることもあります。仕事中も急な体調不良に見舞われることがあり、周囲からは「怠けている」「わがまま」と誤解されることも。難病手帳は持っていますが、障害者手帳の基準には達しておらず、周囲に病気のことを理解してもらうのに苦労しています。見た目ではわからないがゆえに、「わかってもらえない」という二重の苦しみを抱えることもあります。
これらの実例からもわかるように、診断や手帳の有無だけで「障害の有無」を判断することはできません。
重要なのは、その人が抱えている「生きづらさ」や「困難」に目を向けることです。
本人が「障害者と思っていない」場合はどうすればいい?
「自分は障害者ではない」という本人の気持ちを尊重することは、支援の第一歩として非常に大切です。無理に「障がい者」というラベルを貼る必要はありません。
障害に対する考え方や受け止め方は、人それぞれで大きく異なります。診断を受けていても、自分の特性を「個性」としてポジティブに捉え、前向きに社会参加をしている人もいます。一方で、「障がい者」という言葉に抵抗を感じ、診断名や手帳の取得をためらう人も少なくありません。中には、「障害者手帳を持つと、社会的に不利になるのでは?」「就職に響くのでは?」といった不安から、制度の利用をためらうケースもあります。
実例
- Eさん(20代、ADHD傾向): 学生時代から落ち着きがなく、忘れ物が多いなど、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の傾向があることを自覚していました。社会人になっても仕事でミスが多く、「自分はだめだ」と落ち込む日々。病院で検査を勧められましたが、「発達障害と診断されるのが怖い」「レッテルを貼られたくない」という気持ちが強く、受診をためらっていました。しかし、職場の産業医との面談で「診断名がなくても、困っていることに対しては支援が受けられる可能性がある」と聞き、改めて自分の特性と向き合い、必要なサポートを検討し始めました。
一方で、福祉サービスや合理的配慮を受けることで、生活や仕事がぐっと楽になる人もたくさんいます。大切なのは、「自分は障がい者かどうか」という自己認識にこだわりすぎず、「今の困りごとに対応できる制度があるか」を知っておくことです。
支援は、「障がい者として扱われる」ためのものではなく、「自分らしく、より快適に生きるための手段」のひとつとして考えるのが良いでしょう。
支援する側が大切にすべき視点:「困りごと」と「合理的配慮」の実践
私たち支援する側、あるいは社会の一員として最も大切にすべきは、「手帳があるか」ではなく「その人が何に困っているのか、どうすればその困難を軽減できるのか」という視点です。
現在の法律、特に障害者差別解消法では、企業や教育機関、行政機関などには「合理的配慮」を行う義務(私企業については努力義務)があります。これは、障害のある人が他の人と同じように活動できるように、必要に応じた調整や工夫をするという考え方です。
実例
- Fさん(40代、高機能自閉症スペクトラム): IT企業でシステムエンジニアとして働いています。プログラミングの能力は非常に高いのですが、急な仕様変更や曖昧な指示に混乱しやすく、電話対応が苦手という特性があります。診断は受けていますが、障害者手帳は持っていません。しかし、上司はFさんの特性を理解し、合理的配慮として以下のような工夫をしました。
- 指示は口頭だけでなく、必ずチャットやメールで文書化する。
- 急な変更は避け、事前に伝わるようにする。
- 電話対応は、Fさんの代わりに他のメンバーが対応する、またはチャットでの対応に切り替える。
- 集中できる個別の作業スペースを用意する。 これらの配慮により、Fさんは自分の強みを存分に発揮し、チームに大きく貢献できるようになりました。
このFさんの例のように、合理的配慮は「診断がある人にだけ行えばよい」というものではなく、「必要な人が必要なときに受けられるべきもの」です。
手帳や診断の有無に関係なく、「一緒に働く・学ぶ・暮らす」ための工夫として柔軟に対応することが、福祉の専門家として、またインクルーシブな社会を目指す上で非常に重要になります。
支援を考える際には、画一的なサービスを提供するのではなく、その人個人のニーズを丁寧にヒアリングし、オーダーメイドの支援を構築することが求められます。
実例
- Gさん(10代、学習障害・LD): 小学校に入学してから読み書きに困難があり、特に漢字を覚えるのに苦労していました。周りの子と同じように学習を進めることができず、自己肯定感が低下。診断は出ていましたが、特別支援学級に通うほどではないと判断されていました。しかし、母親が担任教師やスクールカウンセラーに相談し、個別での支援が検討されました。結果、タブレット端末の音声読み上げ機能を活用したり、漢字の宿題の量を調整したり、定期的に学習サポートの時間を設けるといった配慮がなされました。これにより、Gさんは学習への意欲を取り戻し、自信を持って学校生活を送れるようになりました。
このように、個別の困りごとに寄り添い、具体的な解決策を共に考える姿勢が、真の支援へと繋がります。
まとめ:ラベルではなく「人」として向き合う社会へ
「障がい者」と一言で言っても、その定義や境界はとても曖昧で、多様な背景や状況を持つ人々が含まれます。
診断や手帳の有無はあくまで目安にすぎず、本当に見るべきなのは「今、その人が何に困っているのか」「どうすればその人が持つ力を最大限に発揮し、自分らしく生きられるか」という視点です。
私たち一人ひとりが、「障害の有無」というラベルで人を判断するのではなく、「相手の困りごとに気づき、必要な配慮を共に考える」ことができれば、もっと誰にとっても暮らしやすい、優しい社会になるはずです。
福祉のプロフェッショナルとして、そして一人の人間として、私たちは常にこの視点を持ち、多様な人々が共生できる社会の実現に向けて、それぞれの立場で行動していくことが求められています。
この記事を通じて、「障害」という概念への理解が深まり、あなたにとって新たな視点や気づきが生まれたなら幸いです。私たちはどのような社会を目指すべきだと思いますか? ぜひあなたの考えも教えてください。
コメント